原爆が落とされてから 76年がたった

広島県(ひろしまけん)での 平和(へいわ)記念(きねん)式典(しきてん)
(写真(しゃしん)提供(ていきょう)毎日新聞社(まいにちしんぶんしゃ))

(音声(おんせい):ゆたさん)

2021(ねん)(がつ)6日(むいか)広島県(ひろしまけん)
平和(へいわ)記念(きねん)式典(しきてん)(ひら)かれました。
(がつ)9日(ここのか)には 長崎県(ながさきけん)でも
平和(へいわ)祈念(きねん)式典(しきてん)(ひら)かれました。

(いま)から76(ねん)(まえ)
1945(ねん)(がつ)(にち)
広島県(ひろしまけん)世界(せかい)(はじ)めて
原爆(げんばく)()とされました。
原爆(げんばく)によって およそ14(まん)(にん)
()くなりました。
その3日(みっか)()には 長崎県(ながさきけん)にも
原爆(げんばく)()とされ、
およそ7(まん)(にん)()くなりました。

原爆(げんばく)(ねつ)()びたことで
(すう)(ねん)()ったあとでも、
病気(びょうき)(くる)しんだり
()くなったりした(ひと)
たくさんいました。

広島県(ひろしまけん)式典(しきてん)には
原爆(げんばく)被害(ひがい)にあった(ひと)
()くなった(ひと)家族(かぞく)
(すが)義偉(よしひで)首相(しゅしょう)や およそ90の(くに)代表(だいひょう)
参加(さんか)しました。

式典(しきてん)(すが)首相(しゅしょう)はあいさつし、
(くろ)(あめ)」を ()びた(ひと)たちへの
救済(きゅうさい)(すす)めると (はな)しました。

(くろ)(あめ)」とは、広島県(ひろしまけん)
原爆(げんばく)()とされたあとに ()った
(あめ)のことです。
原爆(げんばく)影響(えいきょう)で、この(あめ)には
(からだ)(わる)物質(ぶっしつ)(はい)っていました。
(くろ)(あめ)」を ()びて
病気(びょうき)になった(ひと)
たくさんいました。

(くに)は これまで
原爆(げんばく)直接(ちょくせつ)被害(ひがい)にあった(ひと)たちを
被爆者(ひばくしゃ)として 救済(きゅうさい)してきました。
しかし、
原爆(げんばく)被害(ひがい)にあっていなくても
(くろ)(あめ)」を ()びて
病気(びょうき)になった(ひと)たちがいます。
(くろ)(あめ)」は
とても(ひろ)範囲(はんい)()ったからです。
(とお)くで「(くろ)(あめ)」を ()びた(ひと)たちは
被爆者(ひばくしゃ)ではないとして、
(くに)救済(きゅうさい)してきませんでした。

そのため、
(くろ)(あめ)」を ()びた(ひと)たちや
()くなった(ひと)家族(かぞく)
(くに)(たい)して 裁判(さいばん)()こし、
救済(きゅうさい)するよう (もと)めていました。

(くろ)(あめ)」を ()びた(ひと)たちは
もう高齢(こうれい)になっているため、
いち(はや)救済(きゅうさい)する必要(ひつよう)があります。

また、原爆(げんばく)被害(ひがい)にあった(ひと)たちが
()きている(あいだ)に、
原爆(げんばく)(おそ)ろしさを (わか)世代(せだい)(つた)
記録(きろく)(のこ)すことが 重要(じゅうよう)です。

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