言葉は 誰がどういう場面で
使うかによって、
まったく 意味が変わります。
親しい仲間内では 笑えることが、
親しくない他人には まったく笑えない
ということがありますよね。
言っていることは 正しくても、
何か悪いことを 隠そうとしたり、
責任を 逃れようとしたりする場合も
あります。
「セクハラ罪という 罪はない」。
麻生 太郎 財務相の言葉を
おぼえていますか?
部下である 財務省の事務次官が
女性記者に セクハラをしたことで
辞めました。
そのとき、麻生さんが
記者会見でのべた 言葉です。
たしかに 犯罪についてさだめた
刑法という 法律の中には
「セクハラ罪」はありません。
そういう意味では
麻生さんの発言は まちがってはいません。
しかし、セクハラは
相手を傷つける、許されない行為です。
では、なぜ 麻生さんは
あんな発言を したのでしょうか。
影響力のある 政治家が
「セクハラ罪という 罪はない」
と何度も言い、
それを テレビが何度も流すのです。
「セクハラは 罪ではないんだ」
「そんなに大したことでは ないのかも」
と思ってしまう人が いるかもしれません。
そういうことを
麻生さんは わかっていて、
部下を守るために
あえて 問題発言をしているのでは
と思えてしまいます。
また、内心では
「セクハラなんて 大した問題じゃない」
と思っている人は
意外に 多いかもしれません。
でも、そんなことを言う人は
あまりいません。
批判されるのが 嫌だからでしょう。
麻生さんは
そんな人たちの本音を 代弁して、
ウケを ねらったのかもしれません。
そういうことを考えると、
麻生さんの 発言は
「まちがってはいない」
と言えるのだろうかと
首を ひねりたくなります。
言葉は 受け取る人によっても
意味が変わります。
社会に さまざまな形で
影響を 広げていきます。
言葉は とてもだいじです。
(文:
☆第2回からは
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