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いつもコラムを読んでくださり、
ありがとうございます。
スローコミュニケーション副代表の
打浪 文子です。
ここ数年、ずっと コラムを書いてきました。
毎年、それぞれテーマを 考えながら、
本業の研究者として 経験することや、
「障害」と接することが多い
「私」個人として思うことなど
書き連ねてきましたが、
今年は何を書こうかと、
しばし思い悩んでいました。
私の感触ではありますが、
10~20年前に比べると、
知的障害のある人たちの生活における
いろいろな問題は、
いろんな方向から、ずいぶん
可視化されるようになったと思います。
教育やくらしの場、性の話、病気や高齢化、
自己決定、権利擁護、余暇活動、
生涯学習などなど……
もちろん、それらは
十分に 解決されていませんが、
ひとまず、困難があり、
社会的にも 解決すべき問題があることは
インターネットや SNSの広まりもあって、
ずいぶんと、発信されるように
なってきたと思うのです。
一方で、知的障害のある人の
「きょうだい」という 私の立場から
この10~20年を 見つめてみると、
知的障害のある人に対する
表立った差別は、
多少は 減ったようにも思いますが
互いを知るための情報は
日々多くなっているのにも かかわらず
社会的な“分離”は、
ときに 拡大しているようにも感じます。
インターネットや SNSで手に取る情報は
遠くの話や、他人事に
なりがちだからでしょうか。
身の回りに 知的障害のある人が いない場合、
彼らの豊かさもユニークさも、
彼らの困難も、社会の問題も
知的障害のある人とない人は、
何がどう同じで 異なっているのかも
なかなか伝わらないままのように
思えることも あります。
インターネットやAIが 発達しても
わたしたちはもちろん、
世の中のすべてのことに
深く詳しくなれるわけでは ありません。
それでも、知的障害のある人たちと
ない人たちが 共に生きるかたちは
まだまだ変わっていけるのではないか、
と時々想いをめぐらせます。
そこで今年のコラムは、
現時点では、知的障害のある人たちと、
あまりかかわりがないと「思われている」分野、
つまり言いかえれば、
これからの大きな「可能性」がある分野について
こういう未来もあると いいんじゃないか、
という考えや想像を
夢みるように 語ってみたいと思います。
現在の社会の中で、
すでに 分かたれたままの現状から
共に生きることを 語るのは
簡単なことでは ありませんし、
課題解決でも、すぐに実現できないことは
たくさんあります。
きれいごとに 終わってしまうかもしれませんが、
それでも、少し先・もっと先の未来を
見据えながら、
「可能性」ということばに 託して、
知的障害のある人と ない人が
共に生きるかたちを
今に即して、楽しくかつ真剣に、
考えてみたいと思うのです。
1年間、どうぞお付き合いください。
(文:副代表・打浪 文子)