(音声:おおわん はるさん)
わたしたち スローコミュニケーションでは、
文章を わかりやすくするためのポイントを
本にまとめたり、研修したりしています。
「すべての人がわかる文章」までは
いかないかもしれませんが、
ポイントを おさえることで
「わかりにくさ」を ある程度
取りのぞくことができます。
しかし、ことばを使う上で、
「わかりやすさ」を じゃまするものが
いくつか あります。
今年度のコラムでは、
それらを 順番に紹介していきます。
今回は、
わたしが論文を書いた経験を
ふりかえりながら 考えてみます。
論文は 難しい文章の 代表例の一つです。
わたしも 何度も 論文を書きましたが、
どうしても 難しいことばを
使ってしまいがちになります。
難しいことばを 使ってしまうのは
なぜなのでしょうか。
まずは、専門用語を使わないと
正しく 伝わらない場合が あること。
論文の場合、正確さは 特に大切です。
これは 仕方のない面が あります。
(「正確さ」については
コラムの別の回でも 取り上げる予定です。)
次に、一般的な論文の書きかたに
合わせようとすること。
研究分野などによっても違いますが、
習慣的に使われる表現があります。
たとえば、
「考察する」「参照されたい」などは
よく見かけます。
そうした 習慣的に使われる表現に
難しいことばが 多いのです。
では、そのように
空気を読んで ほかと合わせ、
自分が浮いてしまわないように
難しい文章にしてしまうのでしょうか。
確かに、日本の文化では特に
ありそうなことです。
でも、もう一歩
自分の心理に ふみこんでみると、
別の感情が 見えてきます。
「かっこよく 書きたい」。
難しい文章のほうが
かっこいい。頭がよさそう。ちゃんとしてそう。
そんなイメージが あると思います。
「プライド」とも言えるような感情が、
無意識であっても
働いているのでしょう。
しかし、それは
ただ自分のためのものです。
「相手に伝える」という点では
何の役にも立ちません。
やさしいことばで 文章を書くには、
まずは 不要なプライドを捨てるところから
始める必要がありそうです。
(文:副理事長・羽山慎亮)