
(音声:天馬 トモエさん)
あなたにとって、
人生で 最も影響のあった人は
誰ですか?
もちろん、一人に 絞り切れるものでは
ないかもしれませんが、
「人」と「人」として 出会ったと
感じられる相手は
その後の人生にまで、
大きな影響を及ぼすように 思います。
私が この問いにこたえるなら、
重度知的障害のある「弟」になると思うのです。
……ですが、なぜ「弟」なのか、
あらためて考えてみると
弟との関わりや、弟の障害特性から
学んだことだけでなく
弟からの縁で 出会った「人」、
選んだ進路で 出会った「人」から
もらったものが
実は とても多いからでは?
それらを総じて「弟」に
まとめているからでは?
と思い直しました。
ここ数年、エッセイを書きながら
あらためて 自分や身の回りのことを
振り返ってきて
そろそろ ネタ切れの感は
あるのですが(苦笑)、
この機会に、弟をきっかけに頂いた ご縁を
弟との かかわりの中から
生まれた話としてでなく、
「私」の視点から
見直してみたいように 思います。
というわけで、2025年度は、
知的障害のある「人」について
書いてみようと思います。
大事なことは「知的障害」のある人ではなく、
知的障害のある「人」について
書くということです。
「(知的)障害者」の枠の中で
語られがちな 彼らにも
たくさんの側面が あります。
ですが、彼らが一人の「人」として
あるいは、別の属性や 異なる側面を
語られることは
あまりないように 思うのです。
例えば、私の「弟」の場合。
私の娘たちにとっては
「ちょっと口下手な “叔父さん”
(でも毎年 お年玉くれる)」なわけですが、
「お年玉は 千円きっちり。
給与が良くても、10年間、絶対に増えない」
のです。
これを、「知的障害」のある人として
見た時には、
自閉症スペクトラム障害ゆえに、
決めたルールを 毎年守っている、とも見えます。
……でも実際、弟の障害は 重度でも
弟は、お金は 自分が自由に使えるものとして
その価値を 彼なりにわかっているわけです。
さらに、出し渋る年もあったと
母に聞くにつれ
本当は あげたくないでは?とか
実は、家族が思うよりも
金銭への執着が 深いのでは?とか(笑)
疑惑の「叔父さん」エピソードにも
なりえるわけです。
(いえいえ、もちろん 毎年感謝してます。
ありがとう、弟)
ですが、こうした話は、
知的障害のある人の身内で 語られて
終わってしまいがちな気がします。
もちろん、彼らの性格や 行動も、
障害特性ゆえに形成された部分も
あるでしょうから、
はたして「障害」の枠を 外して
その人を語ることが どこまで出来るのか、
わかりません。
また、私自身が
もう その人の名前さえ
思い出せない人も いますが、
ふとしたエピソードや
話してくれたこと、
コミュニケーションの中には、
わすれられないものや、
今でも 生きた教訓に
なっているものなどが あります。
これらを、「人」の話として
取り出して 整理しながら
皆さんに
お話ししてみようかと思うのです。
「その人が どういう人だったか」を
単に 描きたいのではありません。
私が「人」として、
その「人」と どう関わったのか。
そして、彼らから、私の人生に
どのようなギフトを もらったのか、
ということです。
エッセイですが、
プライバシーには 十全に配慮しつつ、
必要に応じて脚色も加えた 読み物として
お送りします。
ご本人にもわからないほど 脚色しますので、
もはや ある種の創作物だと思って
読んで下さい(笑)。
(記憶というものは、そもそも、
ねじ曲がりやすいものですから……)
他の方のコラムに 比べると
少し気軽な読み物に なるかもしれませんが、
1年間、肩の力を抜いて、
お楽しみいただけましたら幸いです。
本年度も よろしくお願いいたします。
(副代表・打浪 文子)
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